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半田高等学校
在校生論文顕彰

第25回(平成26年度)

第25回(平成26年度)在校生論文顕彰は1月に締め切り、審査を経て、最優秀賞1編、優秀賞3編、佳作5編、特別賞1編が選ばれました。結果発表と表彰は2月に行われました。


基本テーマ
『社会を動かす
~私のとれるリーダーシップ』
応募総数
194編
入賞作品
 題名受賞者
最優秀賞 リーダーシップから見えるもの 3年
新海 陽子
優秀賞 水面に石を投げて、空気を動かす 1年
伊藤 寿典
優秀賞 まとめられ論 1年
岡戸 みさき
優秀賞 社会をデザインするということ 2年
鎌内 咲甫
佳作 未来の自分に期待すること 2年
牛田 実里
佳作 過去から学ぶリーダーシップ 2年
中谷 有沙
佳作 私だけのリーダーシップ 2年
川合 花穂
佳作 つなげて動かす 2年
石川 望
佳作 私のとれるリーダーシップ 2年
有吉 茜
特別賞 リーダーシップで大切なこと 2年
渡邉 風香

最優秀作品

リーダーシップから見えるもの
新海 陽子

半田高校での学校生活は、私にいつもどこか劣等感を抱かせた。それは成績そのものに対してであり、半田高校の勉強づけの姿勢に反発しながらも、他に自分を証明できるものも、実力も持たない自分自身に対してでもあったのだと思う。どちらかといえば、私は、半田高校という社会集団のなかで息苦しさを感じて過ごしてきた。

けれども、その劣等感と、それに伴い悩んだことが、わたしに思いがけなくもたくさんの経験をもたらした。私の所属している、放送部との出会いもその一つである。そして、今回の論文に書きたいことは、放送部の経験に基づく。というのも、そこで「リーダーシップ」について考える機会があったからである。

そもそも、わたしは「リーダーシップ」について思い違いをしていた。「リーダー」と「リーダーシップ」は似ているようで、大きく違う。「リーダー」は特定の地位に立っている者のことを言う。具体的には政治家、社長などが挙げられる。それに対し、「リーダーシップ」とは指導権、指導者としての能力、資質、統率力を表す。これは、地位は関係ない。もちろん、リーダーシップとリーダーには、密接な関係があることは事実だ。良いリーダーはリーダーシップがある人物である。だが、リーダーシップはまず、リーダーであることが前提なのではない。リーダーシップは、誰でも発揮できるものなのだ。

さて、私が放送部に入ったのは、本当にくだらない理由からであった。中学時代、バスケットボール部に所属し、厳しい練習がいやだった私は、高校で初め茶華道部に所属していた。だが、活動日数が少なく、クラスの人たちが皆部活に励む中で、ただ帰る自分を引け目に感じていた。そして、その変な劣等感が高まり、一年生のひいらぎ祭が終わった後、放送部に転部した。ちょうど私の学年の人数が少なかったからである。

入ってみると、実に放送部は私に合っていた。朗読も作品作りも大好きになったし、練習して、うまくなるのが嬉しかった。劣等感が少し薄れた。そして、三年生の最後の大会に向けて動き出す時期がやってくる。

放送部の大会はアナウンスと朗読、映像、ラジオ部門がある。そのなかでも、今回は創作テレビドラマ部門についての体験を書きたいと思う。これは、文字通り、自分たちでストーリーを作り、映像を撮り編集をし、八分間のドラマを作る。そして、その出来を競う部門である。私は、主に脚本を担当した。

リーダーシップは、集団の中で、他者との関係の中で生み出される。ある集団で力を合わせて共通の目標に向かうとき、そこには役割がある。私たちの場合は、大会という目標があり、それぞれに撮影、脚本、役者などの役割が分担された。一つの役割は周囲があってこそ成り立つ。役者が台詞と動きを覚え、撮影係が撮影手順をきちんと理解して、撮影はうまくいく。もっと言うならば、事前に撮影場所が使えるように交渉する人がいてこそ、撮影は成り立つ。自分の役割を精一杯こなすのも、また、雑用を率先してこなすのもリーダーシップだ。リーダーシップとは人に指示することではないし、理屈を教えることではない。自主的に自分が動いて、人の行動を率いることなのだ。積極的に行動することで、それを見た人の行動を促すことなのだ。だから、リーダーシップというのはチームの中で互いに影響を与えながら、相互作用的に発揮される。リーダーシップは、よい集団を作る。

思えば、私たち放送部が集団としてまとまってきたのも、それぞれがリーダーシップを発揮し始めた頃だと思う。初めの頃は、たくさん失敗して、たまに喧嘩もした。事前に確認していなかったせいで、衣装が準備されておらず、撮影ができないなんていうこともあった。主要メンバー六人は、少人数ということもあって、自分に何ができるか必死に考えたのだと思う。自分の役割をどうこなすか、今手が空いているから、雑用が片づけられるのではないか。

今まで私はリーダーシップといえば、かた苦しく厄介で面倒なイメージをもっていた。また、自分には一生縁のないことだとすら思っていた。だけど、リーダーシップは、責任は伴うけれど、自分を成長させてくれる。積み重ねていくうちに、集団の中で自分が必要とされるようになる。それは純粋に嬉しい。すごく嬉しい。大げさだけれども、私はそう思えるようになった。

ここで、劣等感についての話を再びする。私の劣等感は、理想と現実の差異によって生まれたと言える。特に自分自身に対する劣等感は、その傾向が非常に強い。

私は将来、作品を生み出す職業に就きたいと思っている。その思いは、漫画家さんのサイン会に行った小学生のとき、その熱量に圧倒された経験から始まる。そして、常に漫画や小説、映画やアニメ、いろいろなワクワクする物語に出会い、心躍らせ、励まされてきた。そしてその思いは、放送部での作品制作でも一段と強くなった。まさに、私の夢と呼ぶにふさわしい大切な思いだ。だけど、だからなのだろうか。それを美化しすぎていた。私の夢は、いつでも色鮮やかで、かっこいいものだった。くすぶってばかりの現実の私とすこしもつながっていなかった。そして私は、理想とのあまりの違いに劣等感を過剰に持った。

今でもこの劣等感は持っているけれど、以前よりはそれについて意識することが減った。なぜか。私の考え方が変わったからだ。

「この世の中に意味のないことなど一つもない」という言葉がある。言い換えれば、自分が意味のないと思っていることでも、考え方が変われば、意味が見えてくるということだと私は解釈している。無理して、すべてのものを肯定的にとらえろということではない。自分一人が見ることのできるものには限度があるし、あれこれ手を出しては何も成し遂げることが出来ない。だけど、何かに失望したり疲れた時、視点を変えてみれば、息をするのが楽になる。今までと違った、新しい世界が見えてくる。

「人を動かすことはできない。だけど、人の心を動かすことはできる。人が頑張るための手助けができる。」放送部の縁で聞く機会のあった講演で聞いた言葉だ。これがすごく私の印象に残っている。物語は、人の心のこもったものは、力を持っている。それは多分、心の一番奥に響くような。生きるのが少し楽になるような、そんな力。

社会とは、人間の生きる場所だ。人間は社会とは切り離せない。だから、人々は社会に、自分という存在を必要される場所を求める。人は皆、「あなたが必要だ」といわれ、自分の素晴らしさを実感する機会をいつだって欲しているのだ。それは、家族という小さな社会の単位でも、大きな単位でも一緒である。それがない社会は息苦しい。

私は、私の夢を叶えたい。夢のど真ん中で私が必要とされるほど、高い世界に行ってみたい。作品を通して、見てくれた人の背中をそっと押したい。今日も一日がんばろう、そう思ってくれたら最高だ。

そんな高い理想をもち、私はこれからまた、冴えない毎日を送っていく。やっぱり劣等感は持つけれど、そんな自分のことを、少しだけ認められるようにもなった。

私らしく、めいっぱい進んでいく。それが社会への積極的な関わり方であり、今できる最大の、私のリーダーシップである。
 

参考サイト
・「NO LOVE,NO TEAM バスケットボールとチームコミュニケーション TEAMに I の感触を」
・「リーダーシップ研修」