なぜ半田高校の校章は「ひいらぎ」なのでしょうか?
昭和二十三年四月、新制高等学校発足とともに、校章図案が全校生徒より募集されました。美術担当の小林仲二郎先生(伊勢湾台風で逝去)が審査委員長となって審査された結果、当時美術部二年生新美均さんの作品が入賞しました。本校の前身である半田中学校のシンボルであるとともに、土地の柊ケ丘にちなむ柊の葉を二枚組合わせ、その中心に「高」の字を浮き出させたもので、形はほぼ真四角に近いものでした。直ちに校章として作製され、六月には全校生徒が帽章として使用しました。また六月一日発刊の学校新聞「ひいらぎ」の題字の図案にもこの校章がえがかれ、クラブのバッジにも取り入られていったのです。
翌年、第二次学校再編成で総合制高校となったときにも校章について話し合われ、五月の生徒議会で、校章と校旗については、美術関係職員に選定を委任することになり、小林先生が中心となって検討することになりました。そして最終的に前の校章の形より下部をややせばめ、柊の葉脈を白く浮き出きせた現在の校章が決定されたのです。六月末には男子は帽章として、女子はバッジとして手渡され、半田高校生の自覚と誇りのシンボルとして使用されることになりました。校章に続き校旗も美術関係職員によってデザインされ、十月の運動会を目標にして作製されることになりました。紫地に金糸で校章を染め抜いた校旗が、雨で延期され十一月一日になった運動会の入場式の先頭を進み、全校生徒に披露されたのです。(『愛知県立半田高等学校誌』より) そう、校章は一度形を変えているのです!
昭和二十三年の校章(左)と昭和二十四年の校章(右)、違いがわかりますか?
現在「柊(ひいらぎ)」は、ごく自然に半田高校の象徴となっています。半田高校の校誌「柊陵(しゅうりょう)」、半田高校の同窓会は「柊会(ひいらぎかい)」、半田高校すべての面で活躍した生徒に贈られる名誉ある賞は「柊賞(ひいらぎしょう)」です。また、こうした因縁からたくさんの柊が校舎の周りに植えられています。あおあおとした常緑の葉はいのちに満ちあふれ、また鋭角の葉先は、たくましい意志をもてと半田高校生によびかけているかのようです。
玄関の校章は21世紀とともにリニューアル
新しい玄関の「21世紀に輝く校章」(第52回卒業生記念品)は、2001年2月28日に贈られました。写真は除幕式のようすです。