第13回(平成14年度)
第13回(平成14年度)在校生論文顕彰は1月に締め切り、審査を経て、最優秀賞1編、優秀賞2編、佳作5編、特別賞1編が選ばれました。結果発表と表彰は2月に行われました。
- 基本テーマ
- 『(1)人を愛すること
(2)教育の未来
(3)将来の日本
(4)科学の発展と人間の幸福
(5)知多半島論
(6)世界における日本の役割 』 - 応募総数
- 193編
- 入賞作品
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題名 受賞者 最優秀賞 ため池とともだち 3年
久田 剛輝優秀賞 情報から世界へ 2年
中川 真嘉優秀賞 前を向いて生きよう 3年
牧野 明香佳作 人間環境と人類の未来 1年
花岡 千穂佳作 「地球に優しく」からの前進 2年
源島 あい子佳作 感性を磨く 2年
古田 真知子佳作 さまよう日本の英語教育 3年
芳金 可奈重佳作 真のコミュニケーションを目指した教育 3年
藤原 瑠美特別賞 不治の病 1年
河口 菜生子
最優秀作品
(参考文献・参考ホームページ)
見たい!知りたい!東海の天然記念物
生き生き生き物観察ガイド 共に風媒社
ため池の自然学入門 合同出版
Fly Fisher 釣り人社
森が消えれば海も死ぬ 講談社ブルーバックス
月刊アクアライフ4月号別冊川魚入門 マリン企画
写真の丸岡ホームページ
武豊町ホームページ
岐阜県海津町立西江小学校ホームページ
東海豪雨災害調査団ホームページ
私達が住む知多半島にはため池が多く存在する。これは、年間降雨量が約千七百ミリメートルと決して多くない上に、大きな河川がなく日照りが続くとすぐに水不足になってしまうという地域の環境に対する先人の知恵である。このような知多半島のため池の特徴として、大規模な池が少ないかわりに小規模なため池が数多く存在しているということが言える。ふと道路脇の茂みの中を覗いてみると池だった、などということも珍しくはない。
しかしながらそのため池も、一九六一年に愛知用水が完成してから、人々が以前のように価値を見出せなくなり、グラウンドや宅地へと次々と姿を変えていった。名古屋市内のため池の数を例にとると、一九六五年に三百六十個あったため池は一九七七年には百九十三個、一九九一年には百三十三個にまで減少しており、それから十年以上経った今ではさらにその数を減らしていることだろう。知多半島においても同様に、ため池の減少は著しい。そのことを裏付けるように、一九八四年に名古屋市の高校の生徒と保護者を対象にして行われた「ため池に関する意識調査」の中で、ため池が町の中に必要ですか、という問いに対し「必要と思う」と答えた人は全体の半数であったことがわかっている。
私は知多半島の住人の一人として、このため池の存在価値を改めて知ってもらいたいと思い、筆を執った。
私が考えるため池の存在価値は大きく次の二つである。
1.自然の宝庫
2.治水面における有効性
1.自然の宝庫
ため池は自然の宝庫である。私は以前父と話をしていたとき、「池ざらえ」について聞いた。「池ざらえ」とは、ため池の底にたまったゴミやドロを掃除するために四年に一度のペースで行われていたため池を干上がらせる行事のことである。父が言うには、現在武豊町の中央公民館のグラウンドとなっている場所が、以前は池で、そこでコイやフナやウナギなど、たくさんの魚を捕まえたものだそうだ。現在の知多半島でそのような定期的な掃除が行われているということは聞いたことがないが、不定期で池の水を抜くことがあるようだ。また、知多半島には絶滅の恐れのある生物が数多く生息している。例えば魚類ではウシモツゴ。全長七センチメートルほどのこの魚は、濃尾平野やその周辺の限られた地域にのみ生息し、環境省の定めるレッドリストでは絶滅危惧ⅠA種に指定されている。それ以外の魚種も、原穣先生のお話によると知多半島では四六種類が確認されており、その中の三〇種類ほどは私自身も自分の目で確認することができるほど、非常に豊富である。他にも、武豊町には全国的に有名な壱町田湿地があり、シロバナナガバノイシモチソウなどの食虫植物が県の手厚い保護のもとで生息しているなど、生物にとってため池は必要不可欠な要素であり、知多半島のため池には正に自然の宝庫という言葉がピッタリである。
2.治水面における有効性
平成十二年九月十一、十二日。みなさんはこの日がどんな日だったか覚えているだろうか。私は鮮明に覚えている。当時一年生だった私は初めての柊祭が終わり、友達と一緒に半田で遊んでいた。その日、昼のニュースの天気予報で東海地方に大雨のおそれがある、と報じられていた。しかし私はそれを大して気にもとめず、傘を持って出かけた。しかし私はその日、家に帰ることができなかった。そう、東海豪雨である。
東海豪雨…本州付近に東西に停滞した前線に対して、南大東島付近の台風一四号の影響による暖湿流が流れ込み、前線を発達させ東海地方にもたらされた集中的な豪雨。この豪雨により、名古屋市西区の新川などで十数ヶ所の破堤があったほか、各地で河川の越流があり、広い範囲で浸水が発生し、浸水家屋は愛知県だけで約七万八千棟に上った。
東海豪雨は、私が初めて経験した自然災害であった。以前から、祖父母や父から伊勢湾台風について聞いてはいたが、実感がわかない、というのが正直なところであった。今までニュースや昔話の世界であった自然災害が自分の目の前で起こったとき、私は治水の重要性を再認識せずにはいられなかった。 私は、知多半島という地域にあった治水策として、改めてこのため池とそれを取り巻く環境の重要性を指摘したい。先に、知多半島のため池はたくさんあるが小さいと述べた。私は治水を考えるとき、この特徴が非常に重要であると思う。「森林はあたかも自然のスポンジのようである」の類の言葉を一度は耳にしたことがあるだろう。私はため池も自然のスポンジであると考える。三〇から四〇メートルの丘陵地が南北に走る知多半島では、このように小規模なため池が多く存在していて、ため池の周囲の限られた区域の雨水を各々の池が少しずつ貯水し、雨水を半島中に分散させて貯めることができるので、集中的な豪雨に見舞われたときも一度に大量の水が氾濫することなく、少量ずつ水を処理することができる。これが大規模な洪水を防ぐのに役立つだろう。またため池を取り囲む雑木林との相乗効果により、治水面で大きな力を発揮してくれるだろう。実際に、阿久比の方ではため池の埋め立てと雑木林の伐採によってそれまで洪水の被害が出、地域に洪水の被害が出たという話を聞いたことがある。そしてため池による治水は、ダム建設や河川改修などと異なり、大規模な土木工事を必要としない治水となるため、自然にもやさしい治水法と言えるだろう。
このように、ため池には多くのメリットが存在する。しかし、その価値を知る人は少ない。先に述べた高校での「ため池に関する意識調査」において注目してもらいたいのは、近くにため池がある人の間でため池が必要だと考える人の比率が特に高くなっているということである。ため池の近くに住む人は日々の生活とため池が密接に関係しているため、いちばん顕著にその存在価値を見出すことができる。そのためか、ため池が必要だと思う理由を見ると、自らの経験に基づいた理由が多いことに気づく。これに比べ、不必要だと思う理由を見てみると、ため池を遠くから眺めたり、テレビのニュースなどからのイメージによって支えられた意見が大半を占めていることがわかる。いわば「食わず嫌い」である。
ため池の減少に歯止めをかけ、ため池の価値を多くの人々にわかってもらうには、そのような悪いイメージを取り払うことが最重要課題であろう。
「危険だ」というイメージについて、一九八一年から八六年までに県内のため池で起きた幼児の水難事故は全部で十五件であり、その原因はコンクリート護岸によるものが大半であった。コンクリート護岸の池は、そうでない池に比べ傾斜がきつく、池に一度落ちると這い上がることが難しいようだ。そこで地域ではため池の周りに金網を張り巡らせ、「あぶない。よいこはここであそばない」という看板を掲げた。しかし子供の好奇心はそんな看板に負けるものではない。私は小さいとき、「ぼく悪い子だもん♪」と言って侵入し、よくザリガニを捕まえたり魚を釣ったりした。その点、現在では「親水公園」というものも増えてきている。親水公園とは、その名の通り、私達がため池などの水辺と親しみ、接することのできる空間のことである。その公園では柵で隔離して水辺から遠ざけることで成立する安全ではなく、池に落ちたとき緩やかな傾斜によって這い上がりやすい構造にすることで成立する安全をつくりあげる。これこそが本当の意味での安全と言えはしないだろうか。そういった公園を増やすことで、子供達が安心して水に触れられる空間が増える。そうすることで、子供達が悪い子と呼ばれることなく積極的にため池と接してほしいと願う。そして今までため池に興味を持たなかった人もため池と向き合う時間が増え、ため池に対するォいイメージも自然と消えていくのではないかと思う。
かつて西欧諸国には、人間が自然を支配しようという風潮があったと聞く。その象徴が治水におけるダムであったり、河川護岸であったりした。しかし日本人は近代以前、自然を恐れ多いものだとしてあがめ、自然のあるがままの生活を送ってきた。明治以降、欧米から輸入されたその風潮によって、日本でも多くのダムや河川護岸が施されてきたものの、現在でも私達が住む愛知県や岐阜県、三重県にまたがり木曽三川の下流に広がる輪中地帯など、自然はときに私達に牙をむく、ということを十分承知した上での生活を送っている地域も数多く存在する。そんな中で、知多半島では昔からのため池が私達の生活を守り、豊かにしてくれていることにもっと多くの人が気づくべきであろう。そして、ため池は二一世紀の知多半島を生きる私達に、自然と共存する方法を提案してくれているということにも。