第17回(平成18年度)
第17回(平成18年度)在校生論文顕彰は1月に締め切り、審査を経て、最優秀賞1編、優秀賞1編、佳作5編が選ばれました。結果発表と表彰は2月に行われました。
- 基本テーマ
- 『不易と流行』
- 応募総数
- 159編
- 入賞作品
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題名 受賞者 最優秀賞 変わるもの、変わらぬもの 3年
鈴木 千暁優秀賞 教育って何だろう 3年
高津 桜子佳作 不変であり、普遍なもの 3年
笠原 由佳佳作 心を導く不易流行 3年
竹内 菜緒佳作 「今」のその先へ 3年
伊藤 里奈佳作 世界の憧れの的でいるために 3年
栗原 明日香佳作 ネット社会における不易と流行 2年
片田 友香梨
最優秀作品
善と悪。生と死。光と影。これらは、全て相反するものだ。しかしまた、同時に存在するものでもある。光が無ければ影はできない。死が無ければ私たちは自分たちが生きていると認識することはできない。それらと同じ所に、不易と流行もあり、そしてそれも相反してはいるが、実は同じ紙の裏と表のようなものではないだろうかと私は思う。例えば、「世界は変わり続けるものだ。」と言われたら、間違っているとは誰も言えないだろう。しかし逆に、「世界は結局変わらない。」と言われても否と言い切ることはできない。なぜなら世界は、変わらないが変わり続けるものだからだ。
日常の中の小さなことを考えてみても、この「不易と流行」は様々なものに含まれている。例えば、服の事を考えてみよう。当たり前のことだが、今の服と昔の服は違う。一時期流行したルーズソックスは今ではもうあまり見かけないし、制服のスカート丈の長短もいつの間にか逆転していた。そしてもっと時をさかのぼれば、私たちの格好は更に変わる。十二単や小袖袴と、私たちの今来ている洋服がまるで違う事は、考えるまでも無く明らかだ。では、変わらない部分とはなんだろうか。今でも和服を着ることがある、というだけではない。そもそもの「服」というものだ。江戸時代だろうが平安時代だろうが縄文時代だろうが、その名称は変わるにしろ、服の役割を果たすものはあった。ジーパンにTシャツであれ、直衣や狩衣であれ、それは身に纏って外のものから身体を保護し、時に自らを飾って楽しんだり、羽振りのよさやセンスのよさを誇示することのできるものである。その部分は、変わっていない。
このように見ると、変わらないものと変わるものは、多くのものに存在するだろうという仮定が出来る。そして、その変わるものと変わらないものというのは、実に曖昧なものでもあるとも思う。ここで、有名な短歌二首をあげてみよう。
「人はいさ心もしらずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける」
「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身一つはもとの身にして」
一首目の歌は、百人一首の中にも入っている紀貫之の歌で、二首目は伊勢物語の第四段の在原業平が詠んだとされる歌である。前者の意味は「住んでいる人の心はさあどうだか分からないが、梅の花だけは昔と変わらずに美しく咲き匂っている。」というもので、後者の方は、訳し方にもよるが「月も春ももう昔とは違うのか。わたしの心だけが昔のままであって。」という意味である。これらはどちらも変わるものと変わらないものを歌った歌だ。しかし、一見して分かる通り、この二首は歌う対象においてほぼ対極にある。
紀貫之は、変動するものつまり流行の部分を人に置き、梅の花の香りに不易を感じた。この感情をおそらく我々は理解できると思う。例えば近所の仲がよかった友達と、引越しのため別れることになり、そのまま次第に疎遠になっていった。新しい友達もでき、昔の友達とはもう連絡も取れない。そんな状況でかつての遊び場に行った時、私たちは「人がどれだけ変わってもここは変わらないな」という思いを持つのではないだろうか。一方、在原業平の方は自分の心、つまり人に変わらない部分を置き、月と春に流動性を置いている。月も、春も、昔のままではない。月は満ち欠けし、季節はめぐる。同じ月の形、同じ季節だからといって、この月も春もあの日のものではない。それなのに自分一人は変わらぬ心を抱き続けている。この全てに取り残されたような心情の事も、自分たちは「ああ、分かる」と思うだろう。
両方とも、全く別の事を歌っているのに、私たちはどちらのことも理解できる。少なくとも理解できるような気がする。これだけ見ても、不易と流行というのは曖昧なものなのだということが改めて分かる。人の視点によって、変わるもの変わらないものは変化するのだ。そしてこれは、言い換えれば、全てのものに不易と流行があるということにならないだろうか。
そしてもしそうであるならば、その変わるものと変わらないもの、その中で最も根本的で身近で大切なもの……とは、やはり命であるだろう。
私たちは、誰しも両親の遺伝子を受け取って生まれた。しかし、私たちは両親と全く同じではない。別の個性を持ち、別の感情を持ち、別の人生を生きる。そういうものである。過去へとさかのぼっていけば、私たちは自分の命を伝えてくれた人と会えるだろう。彼らの血を、彼らの命を、私たちは受け継いでいる。その受け継いでいるという部分は、変わらない部分と言い換えることが出来るだろう。けれどもやはり、私たちはこの世界に唯一のものなのだ。環境に適応するために有性生殖をするようになった時から、それは決まっている。全く新たな生を、新たな命を、私たちは受け取っているからだ。
今年の六月、九十四歳であった私の曾祖父が死んだ。頑固で、生真面目で、厳しくて、けれど優しい、明治や大正の匂いのする人だった。曾祖父が死んだ時、一つの時代が終わったという気がした。そして葬式の後、私は母から病床で曾祖父が震える手で書いたというメモを見せてもらった。そこには私と弟と妹の名が連ねられた後に、こう書かれていた。「三人は、乞食をしておっても生きよ。生きておればまた何とかなる。」
一世紀に近い時間を生きた人からの言葉だからこそ、身に染みた。その時、これから何があっても生きていこうと、自然に思えた。私たちは、明治や大正を知らない。戦争や、飢えを知らない。私たちは、そこに生きた人ではない。けれど私たちは、そこを通り抜けてきた人たちの命を受け継いでいる。そして、それを受け継いで生きるということは、生きていくというのは、変わらぬ人間の最も大切な営みだと私は思う。
変わることは必要だ。変化するからこそ、個人の人格が生まれ、唯一の新たな命が生まれる。しかし、その変わるものを伝えていくというその行為は変わらない。変わるものと変わらないもの、そのどちらがよいという事ではなく、二つがあって初めて世界は成り立つのだ。今ここに、こうして生きていられるのだ。変わり行く世界の中、たった一つの命を繋げていくためだけに、私たちは生きている。そのことがもう、不易であり流行なのだ。
最後に、私は変わるものと変わらぬものを言った釈迦の言葉を引用させてもらおうと思う。「すべてのものはうつろいゆく。この世にとこしえに変わらざるものがあろうか。すべてのものは生まれては消え、消えては生まれる。この静けさのなかにとこしえに変わらざるいのちをみつけた。」私はこの言葉の中に、変わるものと変わらぬものの全ては要約されている気がする。
〈参考資料〉『ブッタのことば』岩波文庫 中村元訳