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半田高等学校
在校生論文顕彰

第16回(平成17年度)

第16回(平成17年度)在校生論文顕彰は1月に締め切り、審査を経て、最優秀賞1編、優秀賞2編、佳作5編が選ばれました。結果発表と表彰は2月に行われました。


基本テーマ
『交流』
応募総数
248編
入賞作品
 題名受賞者
最優秀賞 ボランティア普及の鍵 3年
澤田 仁美
優秀賞 境界線を越える交流 2年
高津 桜子
優秀賞 和の美しさ 2年
竹内 菜緒
佳作 医師に求めること
―心ある医療を考える
3年
井上 亮太
佳作 己を探す 3年
田中 万智
佳作 未来との交流
―子供と私たち―
2年
鈴木 千暁
佳作 交流のデジタル化 1年
磯部 夏美
佳作 自分に出来ることを精一杯 1年
加藤 愛

最優秀作品

ボランティア普及の鍵
澤田 仁美

二〇〇五年、日本国際博覧会、通称、愛・地球博が愛知県長久手で開催された。今までの万博とは異なり、市民ボランティアの力でサポートされた万博としても話題をよんだ。今後、日本においてボランティアはよりいっそう普及していくのだろうか。

残念ながらそんな楽観的な見方は決してできないと私は思う。それは実際に万博のボランティアに参加した人から得たアンケート結果から見て取れる。その数字は日本でのボランティア普及の難しさを物語っている。例えば今後のボランティア活動意向について。(図一)以前にボランティア経験のある人は、圧倒的に継続を望む人のほうが多い。それに対して今回がボランティア初体験だという人では、積極的意向と消極的意向の間にはたった七%程度しか違いがない。

では経験のない人にボランティアへの参加をうながすためには何が必要だろうか。アンケート結果(図二)を見ると「時間的余裕の確保」が必要だと読み取れる。確かにそれも必要だが、それだけでは解決にならない。なぜなら仮に時間ができたとしてもそれをボランティアに使うかどうかは本人の決めるところであって、結局ボランティアの普及につながるかどうかは分からないからだ。ここで「他にやりたいことがあるから」という今後の活動意向がない第一の理由に注目したい。他のボランティア活動に興味がないわけでも、経済的に苦しいからでもないということは、ボランティア自体に魅力を感じられなかったということである。つまりボランティアの魅力の向上が普及には最も重要である。

ボランティアの魅力。それは「楽しさ」であると私は思う。今回の万博ボランティアは他のボランティア活動と比べてより多くの関心を集め、実際に二万人を超える参加者を記録した。なぜかと言えば万博が難しい理屈よりまずお祭り」であり、見るからに「楽しい」「ことだったからではないだろうか。しかしそう言ってしまうと、本来のボランティアの理念に反すると思う人もいるかもしれない。確かに私も最近までボランティアに楽しみを求めるのは間違っていると思っていた。しかもボランティアはつらくて大変で偽善的な感じがして敬遠さえしていた。しかし実際に万博のボランティアに参加してみて、その「楽しさ」を実感してから思いは変わった。ボランティアは楽しい。そして同時に楽しくなければ続かないとも実感した。確かに嫌な事もたまにはあるし、忙しいし、お金も時間もかかる。それでも私がまたボランティアに参加したいと思うのはあの「楽しさ」が忘れられないからである。楽しいから続けられる。それはどんなボランティアにも共通して言えることではないだろうか。万博のようなボランティアに限らず、一見するとつらいだけに見えるボランティアでもそれが続いているということはどこかに「楽しさ」があるからだと思う。その「楽しさ」とは些細なことでも構わなかったりする。例えば人の笑顔。これだけでも人は楽しく幸せな気分になれるものであると私は実感を持ってそう感じる。たとえどんなに高尚な理念でボランティアを勧めたとしても、それだけでは人の心は動かせない。そのためにも心に届く魅力が必要なのである。しかしアンケート結果から見て、必ずしもその魅力がすべての人に届いたわけではないことが見て取れる。何が障害となっているのだろうか。そこには体制的な問題があると私は考えている。

まずは人的対応の強化が必要だと言えよう。この必要性は経験者の多くが感じていることである(図三)。今回のボランティアで言うなら情報の通達不足が挙げられる。事前の講習でボランティアの理念は教えられたものの、実践的な情報は表面的にしか教えられなかった。その後の情報収集には個人差が生まれたため、半数近くの人が十分に楽しむことができなかったのである。なぜ楽しめないのかと言えば、ボランティアとしての責任を十分に果たせないからである。自分に求められている働きを果たせなければそこに充実感は生まれず、楽しさも半減してしまう。例えば、スポーツの試合を思い浮かべて欲しい。たとえどんなにスポーツが好きで楽しもうと意気込んでいたとしても、ルールも分からず練習経験もなければ、果たして楽しむことができるだろうか。

そしてもう一つ。「楽しさ」を認めた日本なりのボランティア理念の確立が必要であると私は思う。先に理念では心は動かせないと述べたが、この理念が行動を制限することもある。私がボランティアを体験するまで抱いていた固定概念がまさにそれである。また日本の独自性も考慮すべきである。例えば全体の八割以上の人が「全くの無償」にはこだわらない姿勢を示しているように、日本には他国とは異なる意向がある(図四)。そもそもボランティアに「楽しみ」を求めるのも異なる点である。私はこの結果をもたらすのは日本人の「お互い様」精神ではないかと考えている。これは困っている人を手助けするという精神であり、一見すると持てる者が持たざる者へ与えるボランティアと同一であると思われるかもしれない。しかし一点異なる点がある。それは「お互い様」精神に内在する平等意識であると思う。具体例として「おかえし」を思い浮かべてほしい。例えばお隣へお土産を持っていくとする。大概の場合、お隣から「おかえし」をもらうことになる。普通ならこれで終わりだが、時として「おかえし」のほうが自分のお土産より高価だったりする。するとさらに「おかえし」をお隣へ持っていく。するとまた…といった具合にエンドレスな「おかえし」合戦が始まる、という絵本もあるくらいである。しかし一概に笑い話とも言えない。日本人には常に相手と対等でありたいという意識があるように思う。ただ、一旦自分が何かを与えると「おかえし」を期待してしまうという点で批判の対象となってきたのである。ボランティアはこのように何かを求めてはいけない、と。確かにそうとも言えるが、私はこの日本人の意識を肯定することがボランティアの普及につながると考える。なぜならボランティアに「楽しさ」が存在することが事実であることは先にも述べたが、そのボランティアの「楽しさ」自体をタブー視したままでは普及はかなわないからである。また、この「お互い様」精神の内在する平等意識は日本のみならずボランティアに必要とされていると私は感じている。よくボランティアの問題として挙げられるのは、与える側与えられる側という互いの立場意識の格差である。その点を「お互い様」精神は解決しうるからである。お互いに“補い合う”という精神として「お互い様」をボランティアに持ち込むことは今の時代に求められていることではないだろうか。

現在、国内にも国外にも問題は山積みの状態であり、このような状況からボランティアが今後いっそう必要性を高めると予想される。そこにはやはりボランティアの普及が不可欠である。そのためにはこれまで述べてきたように、ボランティアを内容も理念もより身近な活動へと転換させることが今、求められているのである。