第18回(平成19年度)
第18回(平成19年度)在校生論文顕彰は1月に締め切り、審査を経て、最優秀賞1編、優秀賞2編、佳作5編、特別賞1編が選ばれました。結果発表と表彰は2月に行われました。
- 基本テーマ
- 『違和感』
- 応募総数
- 126編
- 入賞作品
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題名 受賞者 最優秀賞
「五感力」を鈍らせるな 3年
東塚 麻由子優秀賞
「ゆとり教育」とは何だったのか 3年
野瀬井 寛優秀賞
違和感 世の中はお金で全てが決まるのか 2年
チャンタナ=ガジャナヤカ佳作
意識における「壁」 3年
久田 翔子佳作
日中関係 3年
松尾 香枝佳作
私の中の違和感 2年
前野 かおり佳作
共感できない本を読む 2年
下郷 沙季佳作
今だから 1年
間瀬 啓太特別賞
新たな日本に出会うために 1年
田中 康隆
最優秀作品
桜は私の大好きな花の一つである。毎年春になると、私の家の前の公園では、何本もの桜の大木が満開の花を咲かせ、皆を楽しませてくれていた。小学生の頃はその下にシートを広げてお花見をしたり、花びらを集めて本にはさんだりと、私にとってその桜の木が順々に咲いていくのを見るのが春の一番の楽しみだった。寒くてなかなか咲かない年には、近所の人たちも、「今年は入学式に間に合うかねぇ。」などと心配し合ったりもした。でもどんな年も、必ず入学式には美しい花を咲かせ、その下で写真を撮る新入生の姿が、また私たちを楽しませてくれた。夏になれば、その桜の木にとまったたくさんのセミが一斉に鳴き出して、夏休みはそのセミの声に朝早く起こされた。
しかし、昨年の冬、その何本もあった桜の大木が次々と切り倒されてしまう事態となった。あまりに突然のことに、私は驚きで声も出ず、「どうして、どうして」と立ち尽くすばかりであった。そして、その切り倒された理由に、また驚かされた。子供の誘拐事件が多発したので見通しをよくするため、枯れ葉がたくさん落ちて公園が汚くなるため、また、毛虫が多くて不快だとの苦情があるため等だった。私は、「それっておかしくない?」「それって違うんじゃないの?」と何度も繰り返した。
私は、公園で楽しそうに遊んでいる子供たちを見ていると、とても心が和む。しかし、ある時、ふと気付いたことがある。それは、遊んでいる子供たちは、どの子も一様に「きれい」だということだ。絵に描いたようにきれいで、特に男の子の小ぎれいなのには驚かされる程だ。泥まみれの子供や、棒を振り回している危なっかしい子供、大声を張り上げている子供が一人もいないのだ。公園内に響いているのは、母親たちの「危ないからやめなさい。」「汚いからだめ。」の声ばかりである。また最近多く見かけるようになった公園でのお父さんも、結構きれい好きなのだ。こまめに子供の手を拭いたり、服が汚れないように注意したりと忙しそうである。どの子もとてもかわいくてお洒落な服を着ているから、きっと高価なものなのだろうと想像はできるが。しばらく見ていると、お母さんたちの話し声が聞こえてきた。
「うちは男の子だし、やんちゃで困るくらいの腕白になってほしいんだけど、いつもおとなしくて……。」
私は苦笑してしまった。「そんなにいつでも、だめ、だめ、と言って何もやらせなければ、おとなしくしているしかないよ。やんちゃ坊主になんかなれるはずないよ。」と心の中で呟いた。
それ以外にも、子供達たちのとても「素直」なことに驚かされる。大抵、一度「だめ」と言われたことは、二度とはしないのだ。その優等生ぶりには頭が下がる程である。もちろん、乱暴な行動はいけない、汚れることはよくない、どんな時でも防犯に気を配る等、全てよく分かることであり、もっともなことだとは思う。しかし母親たちは、一方で、我が子の優等生ぶりに歯痒さを感じて、思うようにならないと嘆いているのだ。そして、伸び伸びと遊ぶことができない子供たちは、心の奥底にストレスをため込み、また、大人たちもそのような子供たちを見て、イライラをつのらせる結果になるのである。
では、このような悪循環を断ち切るためにはどうすればいいのだろうか。まず第一に、子供たちに、造られ用意されたものではなく、本物の自然に触れさせてあげるというのはどうだろう。一体、今の子供たちは、本物の自然と触れ合った経験がどのくらいあるのだろうか。
例えば、夕暮れの夕焼け空の美しさに息を呑んで立ち止まったことや、雑草の中の小さなかわいい花に見とれたことや、満天の星を目に焼き付けたことがあるだろうか。また、寒い冬の日に、手袋に落ちてきた雪の結晶に顔を近付けて、その美しさに溜め息をついたことがあるだろうか。花が枯れ、雪が消えてなくなる様を見て、自然の「はかなさ」を知っていくのである。自分の身体の感覚で季節の変化を感じたり、危険を察知したり、命の尊さを実感したりすることは、何よりも大切なことだと感じる。紙の上やパソコン上でばかり物事を考えて「五感力」を鈍らせてはいけないのだ。どんなに疲れても、孤独に苛まれることがあっても、夜の次に朝が来て、冬が終われば春が来ることを身体で感じられる人は強いと思うからだ。
私が、切り倒された桜の木を見て感じた「違和感」。そして、その理由を聞いて、さらに強まった「違和感」。今の子供たちは、そんな「違和感」を感じることもなく成長していく。大人も子供も、何も「違和感」を感じなくなった時が一番恐い時である。私たちのアンテナであり本質である「五感」を鈍らせることは、頭では分かっていても身体で感じとることができない。そんなアンバランスな人間を作り出すことになるのだ。
それを防ぐには、どうしたらいいのか。それには、まず、大人が自らの「五感力」を取り戻すことが何よりも大切であろう。そして、これから大人になっていく私たちにとってもそれはたいへん重要なことであり、普段から心掛けていかなければならないことである。これからの子供たちが豊かな五感力を持ち続けるようにすることが、これから大人になっていく私たちに与えられた課題なのである。