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半田高等学校
在校生論文顕彰

第23回(平成24年度)

第23回(平成24年度)在校生論文顕彰は1月に締め切り、審査を経て、最優秀賞1編、優秀賞3編、佳作5編、特別賞3編が選ばれました。結果発表と表彰は2月に行われました。


基本テーマ
『日本をどうする』
応募総数
129編
入賞作品
 題名受賞者
最優秀賞 元気を出そう
~共有化を主導する~
3年
竹内 悠
優秀賞 Unーdevelop-able
~日本・幸福のカタチ~
3年
谷山 孝直
優秀賞 「なんとなく」からの脱却 2年
伊藤 園華
優秀賞 江戸に学ぶ、思いやりの国 2年
川地 里奈
佳作 世界の中心 3年
武村 美穂
佳作 日本が世界と仲良くするには 3年
林 紗梨生
佳作 日本の平和のために 3年
鯉江 美穂
佳作 日本で“泳ぐ”ということ 2年
浅井 ひなの
佳作 日本人であることの誇り 1年
内山 結希子
特別賞 日本をどうするか 2年
村瀬 晴香
特別賞 「地球国」の魁 2年
伊藤 良洋
特別賞 「議論」の行方」 2年
磯部 翔一

最優秀作品

元気を出そう
~共有化を主導する~
竹内 悠

「元気をだそう」(朝日)「いま、この国に生きることの意味」(日経)これは、一九九四年、私が生まれた年の元旦の新聞社説である。いずれも、定まらない国の進路に目を注いだものだ。十八年という、何も話せない赤ちゃんが、自分の将来を自分で決められる高校生にまで成長する間に、はたして日本は、その進路を見つけられたのだろうか。この社説タイトルを見ると、今も十八年前も、あいかわらず日本は同じ問題を抱えているようである。

とは言っても、私は、高度経済成長もバブルも終わった「失われた二十年」と呼ばれる時代にしか生きたことがない。失われる前の時代を知らないため比べる対象を持ち合わせておらず、何が失われ、悲観されているのか、実は、あまり実感が湧かないというのが正直なところである。私は、自分が日本を知らないことへの危機感を感じた。と同時に、日本の姿がいまひとつ掴めないという不安で、心が曇っていく気がした。「日本をどうする」を考えるにあたって、まずは、日本の姿を探ってみたい。

はじめに、日本が誇る技術を並べるなら、山中教授がノーベル賞を受賞したiPS細胞、小惑星イトカワから七年間の飛行を経て帰還したはやぶさなど、枚挙にいとまがない。

そのほか、多様な地方文化や、アニメ、食文化、サービス業におけるホスピタリティ、伝統芸能、スポーツ文化など、世界に広まっている素晴らしい文化もある。

あきらめず地道に研究を続けた山中教授が受賞後にとった謙虚で真面目な姿勢が、日本人らしいと評価されたことは記憶に新しい。3・11以降、日本人の我慢強さや、助け合い・連帯の精神は世界から称賛されている。悲観的になりがちだった私たちは、日本の文化や社会の中で生まれた「日本人らしさ」を、印象的に再認識させられた。

一方で、日本では二〇五〇年には高齢者が人口の約45%にのぼり、GDPは世界第九位まで転落すると予測されている。経済大国日本でも、「成長から幸福へのギアチェンジ」が提唱されつつあるという。

ところで、メディア・ナショナリズムという言葉に馴染みはあるだろうか。大石裕教授の主張をまとめると、「メディアによる一定の価値観や情報の共有が『我々』という意識を生み出し、その意識は、国家に帰属する自分、国家の社会の一員という意識を形成する。すなわち、マスメディアは、国民的アイデンティティを形成し、その共有化に大きく寄与している。」ということである。大石氏は、各国がいかに日中摩擦を報道したかを検討し、インターネットが反日デモに与えた影響や、中国のナショナリズムの変容などを論じているが、ここでは、歴史認識について取り上げたい。

二〇〇五年、小泉前首相の靖国神社参拝や歴史教科書の改訂をきっかけに、反日デモが起こった。大石氏によると、中国をはじめ、米・英・香港は、日本の歴史認識について、自国の残虐な行為に対する反省が見られず、隠蔽しようとしているという点で、批判的に報道したという。

調べてみると、七年経った今も、高校の教科書、資料集には、日中戦争の残虐行為の写真や、詳しい説明は掲載されていない。その一方で目に入るのは、原爆の写真や、無残な焼け野原という、被害を受けた日本の姿だけだった。中国では、愛国主義教育において、日中戦争の悲劇が視覚を通して生々しく伝えられているというが、日本もその点では同じく、他国にやられたことの方を多く取り上げていたのだ。

けれども、日本が不戦・平和を守ろうとしていることも事実である。反省していないのに、平和を保つことができるというのは、どういうことなのだろうか。

私はここに、日本の「歴史感の共有」の特徴を見ることができると思う。つまり、日本人は自らの残虐行為よりも、他国にやられたことの悲しみを共有し、反省よりも戦争の悲惨さを感じることによって平和を維持している、ということだ。先に見たように、教科書の記述もそうであるし、私の知る限り、日本の戦争映画やドラマは、日本の侵略行動の代わりに兵士たちの勇気や仲間意識に焦点をあて、残された家族の悲しみや、町の荒廃を印象づけるものが多い。修学旅行で広島に行くこと、総合学習の時間に戦争体験者の話を聞きに行くことなども、自国で起きた悲しみを世界で二度と繰り返さない、という理解を共有させるものだと思う。

歴史認識が正しいかは別として、こうして悲しみの共有がなされた日本は、「不戦」を憲法に記し、守り続けるという、世界に誇るべきアイデンティティを作り上げた。これは、一定の価値観や情報の共有が国を変えた一例と言えるのではないだろうか。

だとすれば、グローバリズム、価値観の多様化が言われる時代だからこそ、逆に、同じ日本人として価値観を共有するべきだと、私は考える。私の思うグローバリズムの理想は、「言葉、民族、宗教などが『同じ』という意識が国を形成するのだとしたら、『同じ地球人』というまとまりで生きることが平和への近道だ」というものであるが、それは国それぞれのアイデンティティを無くすべきだという意味ではない。他と同化しようとしすぎて自分を見失い、日本の姿が掴めない、国の進路が定まらないと嘆いている場合ではない。

一〇年、二〇年後の日本は何を誇る社会になるべきなのかというビジョン。日本が抱える数々の社会問題や、その解決策。先に書いたような日本人らしさや、日本の文化・伝統・技術・精神……。日本が危機だといわれる今、私は、未来を切り開く強力な共同体を形成するため、日本のアイデンティティの再認識・共有化を主導していきたい。

今すぐに大それたことが出来るとは思っていない。将来、共有化に大きく寄与しているメディアを組織する一員となるために、政治学を学ぶ。私はそんな小さなことから始める。半高の若い世代の仲間が、日本のためにどんな行動を起こすのか期待すると同時に、私はそれをすぐ取材しに向かう社会人になっているだろうかと想像するのも楽しい。

今は未来を信じ、十八年後の新聞にはもう「元気をだそう」の文字がないことを望みながら、日本のビジョンを描こうと思う。
 

参考文献

・メディア・ナショナリズムのゆくえ「日中摩擦」を検証する 大石裕/山本信人編著(朝日新聞社)

・2030年の日本へ  あらたにす「新聞案内人の提言」 あらたにす編(日本経済新聞出版社)