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半田高等学校
在校生論文顕彰

第24回(平成25年度)

第24回(平成25年度)在校生論文顕彰は1月に締め切り、審査を経て、最優秀賞1編、優秀賞3編、佳作5編、特別賞1編が選ばれました。結果発表と表彰は2月に行われました。


基本テーマ
『いかに生きる』
応募総数
184編
入賞作品
 題名受賞者
最優秀賞 法を守るということ 2年
竹本 勇汰
優秀賞 「奇跡の時間」を生きる 2年
内山 結希子
優秀賞 七十億人の中の一人であることは
七十億分の一であることか
3年
牧野 一紀
優秀賞 人の為に生きる 3年
伊藤 良洋
佳作 スマホと生きる 1年
日比 まどか
佳作 「いかに生きる」
ー私の場合
1年
川合 花穂
佳作 「生きている」それだけで 1年
近藤 由起
佳作 迷うこと 2年
鈴木 仁美
佳作 「おもしろきこともなき世」を生きる 2年
新海 陽子
特別賞 音楽と宗教、そして私 2年
鈴木 亜美

最優秀作品

法を守るということ
竹本 勇汰

私の父は漁師であった。しかし、中部国際空港の建設によって先祖代々の生業を廃業せざるを得なかった。父をはじめとした漁師たちはもちろん、抗議運動を行った。

この話を聞いて、おそらく多くの皆さんに一つの疑問がわきあがることだろう。補償金や失業後の仕事があるにも関わらず、なぜ抗議活動を行うのか、というものである。私はこの疑問に対する答えを、三里塚闘争とアメリカで起こったマクドナルド・コーヒー事件という二つの例と、表題に掲げた「法を守るということ」に関する考察から求めて、その結果から「いかに生きる」という命題に対する答えとしたい。

まず、三里塚闘争について考えよう。

三里塚闘争とは、成田闘争とも呼ばれ、成田空港建設に反対する農民を中心とした地元住民による闘争及びそれに関連した事柄である。メディアに何度も取り上げられているので知っている人も多いだろう。なぜ彼らは長年にわたり空港建設に反対し続けたのだろうか。

一般的には、時の政権が地元住民に対する許可も取らずに空港建設を決定したからである、とされている。しかし、この理由は長年戦い続けるモチベーションに本当になり得たのかは疑問を呈せざるを得ない。

19世紀のドイツの法学者イェーリングは「権利のための闘争は、権利者の自分自身に対する義務である。」と述べている。つまり、彼らの闘争は土地によって引き起こされたのではなく、土地に根ざす彼らのアイデンティティによって引き起こされたのである。要するに、彼らにとって闘争は利害の問題ではなく品格の問題に、つまり人格を主張するか放棄するかという問題であったのだ。

私の父においても同様である。

私の父のアイデンティティは伊勢湾と先祖代々の生業であった。それが失われるということはほとんど死と同義であった。つまり、父は自らの利害ではなく、自らの品格と権利感覚によって抗議活動を行ったのだ。

次に、マクドナルド・コーヒー事件について考えよう。

マクドナルド・コーヒー事件とは、アメリカニューメキシコ州のマクドナルドでコーヒーを頼んだ女性が、誤ってこぼしてしまい、重度の火傷を負ったためマクドナルド社に対して訴訟を起こしたという事件である。

この事件は、訴訟大国アメリカを象徴するものとして扱われているが、その評価は正しいものなのだろうか。

当時、家庭用コーヒーメーカは約70℃ほどであったが、マクドナルド社はコーヒーを約85℃で提供していた。このことについて苦情が10年間で700件以上寄せられていていた。それにもかかわらず、マクドナルド社は改めようとせず、自らの利益を優先し放置したままにした。その矢先にこの事件が発生したのである。

このような事情を鑑みると、「訴訟大国アメリカを象徴するもの」という評価は正しくないように思う。結果として、彼女は損害賠償を受け取ったが、私には、彼女が利益を求めて訴訟を起こしたのではないと感じる。

前出のイェーリングは「権利の主張は国家共同体に対する義務である。」とも述べている。彼女は自分の過失に対する損害があまりにも大きいと感じたからこそ訴訟を起こしたのだ。つまり、彼女は、自らの利益のために顧客の安全を考えなかったマクドナルド社の社会的責任を糾弾したのだ。このように自らの権利を守ることは、社会全体の利益になりえるのである。

最後に、私が表題に掲げた「法を守るということ」について考えていこう。

「法」と聞くと私たちは往々にして刑法をイメージしがちだ。しかし、権利を定めた民法もまた法なのである。つまり、法とはすなわち権利なのだ。