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半田高等学校
在校生論文顕彰

第5回(平成6年度)

第5回(平成6年度)在校生論文顕彰は1月に締め切り、審査を経て、最優秀賞1編、優秀賞2編、佳作5編、特別賞3編が選ばれました。結果発表と表彰は2月に行われました。


基本テーマ
『世界の中の私・私の○○論』
応募総数
234編
入賞作品
 題名受賞者
最優秀賞 「燃え上がる柊の木」
~僕の住む日本~
3年
関 正博
優秀賞 「私の看護婦高学歴化論」
― 看護婦の地位向上のために ―
3年
加古 真希
優秀賞 私が私であること 2年
池田 瑞穂
佳作 私の父親論 3年
野田 悠美子
佳作 未来論 3年
越智 大介
佳作 日本とアジアの明日 2年
梶田 典男
佳作
― 明日への提言 ―
2年
高井 久実子
佳作 私の地域ボランティア論 1年
相内 美香
特別賞 私の留学論
― 日本で暮らした十一ケ月 ―
2年
メリンダ・ビス
特別賞 私の人間論 1年
橋本 和子
特別賞 私の児童文学論 1年
宮田 香織

最優秀作品

「燃え上がる柊の木」
~僕の住む日本~
関 正博

日本は集団主義の国だといわれている。それは事実ではあるが、しかし、そうは簡単には言い切ることはできない。

「脱亜入欧」という言葉に示されるとおり、日本は明治以来、「アジア」という後進地域から脱して、先進国である「欧米」の仲間入りをしようとし、その結果、彼ら特有の個人主義的な考えが日本にかなり入ってきた。そのため今では、個人主義的に行動する人も多い。しかし、問題はそこにあるのではなく、むしろ、日本という国そのものが集団主義と個人主義の中間の中途半端なところにいるということなのではないか。

冷戦の間、世界は共産圏(東側)と資本主義国(西側)とに分けられて敵対していた。そのためにそれぞれの陣営で結束していた。敵は常に相手の陣営だった。何か悪いことが起こると、相手の陣営を非難していればよかった。ところが、冷戦は終わった。するとそれぞれの陣営の結束が崩れてきた。そして、内部でごたごたが起こってきた。旧ユーゴのように、民族に分かれて分裂し、敵対しあい、殺し合いを始めた。そういうことが世界のあちこちで起こってきた。つまり、大きな枠組みが壊れると、それまで圧迫されていた民族主義が勃興してきて、収拾がつかなくなったわけだ。これからの国際政治は、こうした民族問題をどう解決するかにかかっている。

その解決のカギは僕たち日本がもっていると思う。先に述べたように日本は中途半端な国である。この中途半端という言葉を悪い意味でとらえないで聴いてほしい。

高度に発達した科学技術や経済活動により、日本は物理的には、豊かになったが、精神的には、十分満たされているとは言い難い。確かに、いつの時代も人間の心の中には、何らかの不安がつきまとうものである。しかし、環境破壊や地価高騰、高齢化といった様々な問題が、膨らみ過ぎた日本経済によって引き起こされ、それらが、国民の不安を助長している。

これほどの問題が、国民を悩ますことのない諸外国は一般に、日本より精神的に豊かであると言えるだろう。

現在の日本は、諸外国に遅れをとってはいるものの、ちょうど、十分な食糧供給、家電製品の普及などに代表される「物質的な豊かさ」と、福祉や教育の充実、治安の良さといった「精神的な豊かさ」の両者が並立する「本当の豊かさ」を実現する途中の過渡期にあると考える。

戦後の日本の驚異的な経済成長は、人々が勤勉に働き、工業の国際競争力をつけ、その商品を多量に外国に輸出することで成し遂げられた。つまり、日本は、自分のところでつくったものを自分では使わずに外国に売りつけて稼ぎ、外国のものはあまり買わなかったからお金がたまったのだ。

こうしたゲリラ的なもうけ方はまだ日本が貧しかった頃は許された。しかし、世界最大の経済大国となった今は通用しない。これからは、むしろ外国の製品を積極的に輸入するように努めることが日本の国際的な役目となっている。その国際的な役目を実行に移す時期が、「物質的な豊かさ」から「精神的な豊かさ」への過渡期である、戦後五十年を迎え、二十一世紀へカウントダウンを始めた今の日本なのである。

今、かつて日本が避けた「アジア」が注目を集めている。「四つの龍」と呼ばれる、中国・香港・シンガポール・韓国をはじめとして、ASEAN各国も急速に工業発展を遂げ、アジア地域の大きな経済圏を作ろうとしている。そして、「アジア」から日本はその経済圏のリーダーとしての役割を期待されている。日本はこれまでの「欧米」向きの姿勢を改めて、場合によっては「アジア」の利害のために「欧米」と対立することも、求められている。だが同時に、かつてのように「アジア」の盟主を気取って、太平洋戦争のような戦争を起こすことのないようにも求められている。日本はこれから、「アジア」のリーダーとなりながらも、アジア諸国と同等の関係を保つことが必要である。

このように僕は日本に生きる者としての使命を今まで以上に強く感じる。だから僕はジャーナリストを目指している。将来、現在のボスニア・ヘルツェゴヴィナのような紛争地域に行って、そこに住む人々の生活や苦しみ、歓びを伝えたいと思っている。そうすることにより自分の人生と世界の歴史を重ね合わせたい。今、僕たちは歴史の激動する時代に生きている。僕はそんな時代を追いかけたい。そして、人々の嘆きや怒りをじかに見て、それを豊かな国の人々に伝えたい。

現在は、豊かな時代だと言われる。確かに、先進国ではその通りだろう。しかし、一歩外に出て目を向ければ、悲惨な生活の続く人々が多いのが分かるだろう。そんな時代だからこそ、五十年前、辺り一面焼け野原でしかなかった所から世界の人々の助けにより奇跡の復興を遂げた僕たちの住む国日本が、人権重視など、いくつかの点で、世界共通の理念を定めるべきだ。そして、今後は世界の人々を平和へと導き、互いに手と手を取り合って、互いの命を尊びあうということの理解を求めていくべきだ。

このことが小宇宙であるこの地球という世界に、争いをなくし、平和をもたらすものと僕は確信している。

この春で僕も卒業を迎える。率直に言って、今までの十八年間はあっという間であった。しかし、そんなことを言っていられる余裕はない。なぜなら、それほど早く世界が僕たちを必要とし、時代が僕たちをもとめているのである。

さあ、今、一人一人の胸の中にある柊の木を力強く燃えあがらせよう。

僕自身は、「世界国憲法」第一条として、次のような目標を掲げて未来へと進んでいきたい。

「世界の唯一の財産は

自分の利益より

人類の平和である」