第6回(平成7年度)
第6回(平成7年度)在校生論文顕彰は1月に締め切り、審査を経て、最優秀賞1編、優秀賞2編、佳作5編が選ばれました。結果発表と表彰は2月に行われました。
- 基本テーマ
- 『自己の座標を求めて -私と○○-』
- 応募総数
- 210編
- 入賞作品
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題名 受賞者 最優秀賞 ともに生きる 3年
高井 久実子優秀賞 今、看護婦に要求されていること 3年
執行 美智優秀賞 私とシンデレラ・コンプレックス 3年
筒井 香名佳作 ワープロの中の自分
~創作活動から得たもの~3年
草野 みゆき佳作 私と家庭という社会 3年
岩橋 菜々佳作 「私と私」
― 自分を見つめる時 ―2年
相内 美香佳作 私と宗教 2年
和田 ゆり子佳作 私と沖縄 1年
田中 文
最優秀作品
近年の医学の発達には目覚ましいものがあることは周知の事実であろう。今さら言及すべき事柄でもないように思われるが、ここに大きな落とし穴がある。確かに、必ず死に至ると思われていた結核等も現在の日本では、高い治癒率を見せている。医学の進歩により平均寿命も伸びた。一見、全てが良い方向へと向かっているようだが、では、実際に地球上の何割の人間が、この高度な医療技術を受けているのか。受けることのできる環境にあるのか。コレラや赤痢、マラリヤ等、日本ではもうほとんど耳にしなくなった病気によって、アフリカやアジアを中心に、今もなお多くの人が苦しめられている。栄養失調さえも、死亡原因の一つである。予防接種や栄養状態の向上、衛生管理などでいくらでも予防が可能なことも多い。国際化が叫ばれる現在、このような事態を単に他国の問題としてとらえていてよいものだろうか。
私は看護婦志望である。大学で看護学を学び、そして日本ではなく、アジアやアフリカにおける医療後進国で、その知識や技術を広め、現地での医療技術者を育てたいと考えている。元々看護婦志望であったが、このような考えを持つに至るのに、次のような体験が元になっていることを先ず述べねばならない。
昨年三月、私はマレーシア・ボルネオ島の熱帯雨林の中で、ほぼ自給自足の生活を営むイバン族のロングハウスで一週間余りの生活を体験した。私の滞在した地域では、外資系企業による大規模な森林伐採が大きな問題となっているのだが、私にはもう一つの問題が見えたような気がした。医療従事者がほとんどいないのである。一緒にホームステイした友人が体調を崩した時も、また別の友人の手足がかぶれた時も、薬の使用はなく、まず伝統に則った祈祷で治そうとしていた。後で、船で少し移動したところに病院があることが分かった。それを見せてもらったのだが、広い森林地域全体の病院であり、全ての人にその医療が施されるのかどうかには、少し疑問が残った。
また、私がホームステイ先の家で手や顔に薬を塗っていると、傍らで見ていたその家のお母さんが立ち上がり、お父さんと一緒に子供を連れてきた。子どもの服を脱がせたお母さんの指す箇所を見ると、ひどい皮膚病であった。二人が一生懸命話すのを見ていて、彼らが何を言おうとしているのかが分かった。その薬は一般に市販されていて、何にでも効くのようなものなので、その子にも自分と同じように塗った。二、三日後、子供を連れてきて私に見せ、「ティリマ・カシ(ありがとう)」と何度も言うお母さんを見た時、この薬を本当に必要としているのは私ではなく、この子、この家族だと強く感じた。そこで、身ぶり手ぶりで使用方法などを何度か説明し、私は家族にその薬を贈った。
自分が当然のように受けてきた医療が当然でない人もいる。理解していたつもりではあったが、衝撃を受けた。私たちは永い間同じ場所で生活をしていると、全てを当然と思いがちである。もっと広い視野を持ち、広く考えることが必要とされる時代ではないか。医療に関する問題から、今回、日本の国際社会への関わり方について、再考すべき点が見えてきた。
先程の、私のあげた薬はいつかなくなるだろう。その時、彼女の皮膚病はどうなるのだろうか。私のした事は一時的なその場しのぎの方法に過ぎず、決して賢明な方法であったとは言えない。しかし、現在の日本の援助には、少なからずそのような部分があるのではないか。確かに資金は必要である。病院施設を建設するのも、薬を購入することも必要である。しかしそれ以上に、病院・診療所等から離れている場合に、その現地の人達でできる応急処置や簡単な治療法を知っていることの方が必要ではなかろうか。事実、私もマレーシアでの体験をするまでは、このような考えは浮かびはしなかった。アフリカの飢餓で苦しむ人々の姿を見れば、痛ましく思い、学校での募金活動をしていれば積極的に参加してはいた。しかし、ただそれだけだったのである。飢えや病気で苦しむ人を見て可哀想に思い、「金」や「もの」で援助しようとするのは、物質的に豊かな人間の傲慢ではないか。普通の人間ならば、できる限りの援助をしたいと思うのは当然である。しかし、「できる限り」の援助しかしないのである。できない範囲は誰か他の人がやるだろう、という意味が暗に潜んではいないか。結局、自らは何もしようとしていないことと等しいと言える。
私が看護婦になり、医療後進国で活動するつもりであることを話した時に返ってくる反応の一つに次のようなものがある。「日本にもまだ差別や貧困に苦しむ人が存在するのに、何故外国へ行くのか」それが日本であっても外国であっても、苦しみに差はないはずである。まず自国の人間を助けてから、その余力で諸外国の援助をしようとすることは間違っている。世界は常に拡大化している。もはや私達は自国のことだけを考えている時代ではない。現在の複雑な国際社会の仕組みの中で、欧米以外の人々とのつながりを自覚することは難しい。しかし、日本だけで自分が支えられているのではなく、全世界的に支えられていることを私達個々がよく自覚することが必要である。その時が来たのである。
自分の周囲のみに関心を持っているだけでは、真に知るべきことは何も見えてこない。国際社会と言われる今、国と国との関係だけでなく、一個人として積極的に海外と関わるべきである。日本国内にいる間、私達は外国の人々と接する機会が少ない。そのためか、関わる対象が海外となった時、萎縮しがちである。政府や大きな団体の動きを待つのではなく、自らが海外との結びつきを作り出し、それを強めていく意識が欲しい。
現在、多くのNGO(非政府組織)の団体が世界中で活動している。しかし、これらの活動が一部の人達の特別な仕事としてではなく、これからの地球に生きる何人にとっても、必然的な意味を持つようになるべきである。
大切なことは、同じ地球上でともに生きている、ということだ。そこには、肌の色も言葉も国籍も何も関係がない。「援助」という枠組みの特別なことではなく、ともに生きている人々が互いのことを思うだけでよい。そうすることによって、手を差しのべることが当然だと思える世界でありたい。
五十年前の焼け野原から、日本が国として復興するために国民は一丸となった。国としては急成長をしたが、果たして個人個人の世界に関する意識が高まってきたと言えるだろうか。まもなく二十一世紀である。これからは、個々が考え、個々が世界と関わりを持つ時代となる。一人一人が広い視野を持つこと。次世代を任された私達の課題である。
そしていつの日か、各国、各地域の医療格差がなくなり、地球上の全ての人が天寿を全うできる日が訪れることを、私は切に願っている。