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半田高等学校
在校生論文顕彰

第9回(平成10年度)

第9回(平成10年度)在校生論文顕彰は1月に締め切り、審査を経て、最優秀賞1編、優秀賞3編、佳作5編、特別賞1編が選ばれました。結果発表と表彰は2月に行われました。


基本テーマ
『挑戦~二十一世紀に向けて何かにチャレンジしてみないか!』
応募総数
156編
入賞作品
 題名受賞者
最優秀賞 「心ある医療」 を目指して 3年
杉浦 真沙代
優秀賞 心空間に於けるウサギの棲息条件と、
その個体群変動が及ぼす種々の考察
3年
富田 啓介
優秀賞 現代の社会で考えること 3年
田中 美奈子
優秀賞 脱問題提起論 1年
滝上 伸子
佳作 ツンドラで生きる人々から学んだこと 3年
水野 慶子
佳作 上を目指して 3年
青木 周平
佳作 法に挑む 3年
山下 純子
佳作 私の暦 3年
木村 奈央
佳作 出会い 2年
間野 綾子
特別賞 自分との戦い 2年
杉江 りな

最優秀作品

「心ある医療」 を目指して
杉浦 真沙代

ー医師。将来医師になろう。

小さい頃から、医療関係の仕事に就きたいと思っていた。しかし、『医師』という職業に決めたのは、つい最近である。

保育園の頃、私の住んでいた所の市立病院では、受付の奥で、薬の調合をしていた。天秤で量りながら、少しずつ様々な粒を混ぜていく。大抵どこの病院でも薬の待ち時間は長く、嫌になるものだ。しかし、幼年の私は違った。薬の調合を見ていることのできるこの時間は、嫌になるどころか、むしろ楽しかった。そして、徐々に幼い心ながら、自分でも調合してみたいと感じていた。ただ、調合してみたい、という理由から、私は薬剤師の道を選択していた。

中学校二年生の冬。私にとって大きな転機となることが起きた。父の手術だった。

父は私が小学生の頃にも何度か吐血し、救急車で運ばれることがあった。病名は胃潰瘍だった。その都度入院をし、薬での治療をしていた。薬剤師を目指していたその頃の私は、薬があるから大丈夫、と思っていた。事実、父は薬のおかげで普通の生活を送っていた。しかし、完治はしていなかった。

その時、父は長年の経験から、薬を飲用することで治る、いつもの胃の痛みではないことを感じ、病院へ行った。検査の結果は胃潰瘍の末期。初期胃ガンであった。手術で胃の約半分を取り除くことが最良の方法だった。主治医の判断と、自分の判断から手術を決意した。

手術は成功だった。集中治療室を出て、個部屋へ移動。その時、主治医や看護婦の対応を間近で見て、私は大きな衝撃を受けた。

ー病気を治すものは、薬と最先端の医療技術。そして、何よりも大切なものは『心ある医療』だ。ー

主治医や看護婦は、術後の患者の体調を正確に診断すると共に、様々な会話をする。医療的な立場から、また、日常的な立場から。その、日常的な立場からの質問には、患者を勇気付けるものが数多く含まれていた。精神面で元気づけていた。不安を吹き飛ばしていた。今の現代医療に欠けている部分である、『心の医療』を感じた。

患者にとって、どんなに小さな痛みでもすごく大きな不安となる。落ち込んだら落ち込み続ける。精神的にすごく弱くなっているからだ。そのような患者にとって精神的に支えられることは、どんなに勇気付けられるだろう。もし医師が技術だけを振り撒くだけだったら、患者と医師との信頼が生じず、本当の医療とは呼べないであろう。

今、誰でも知っているように、医師は英語でdoctorである。doctorの語源は「正義・正統」である。しかし『医師=正義』と、果たして今の医療でこの二者をイコールで結んで良いのであろうか。医師は、正義のある人として敬いをもたれる存在なのか。

かつて、医師は欧米でleechと呼ばれていた。現在の意味は、
― leech ―
1、[動]ヒル(貪欲、放縦の象徴)
2、他人の利益を吸い取る者
である。しかし、当時の人々は、「魔法の言葉、魔術師」と、この言葉の意味をとらえていた。古代、正しく医師は魔術師であった。日本でも『アミニズム(精霊崇拝)』と呼ばれる呪術による治療が行われていた。自然物や動植物に存在する霊魂を鎮めることで、病気を治した。医師は神の使いとして、普通の人とは別の扱いを受けていた。

近代に近づくにつれ、徐々に医師は技術で病気を治すようになる。

明治以来、日本では『知らしむるべからず、由らしむべし』と、医師は口にした。呪術的な意味ではなく、同じ『人』として医師をとらえるようになったが、医師は周囲の人とは違い、一つ上の存在であった。患者も看護婦も、家族も、それを当然のように受け入れ、不信感をもたなかった。

ここにこそ、現代医療の問題点があるのではないだろうか。古代の魔術師の治療、そしてそれ以降、常に医師は絶対的権威を持って行動している。古代の医師は患者に触れ、その患者に対し、一心に願いを込めていた点で今よりも、まだ良かったかもしれない。今の医療では、患者に触れることよりも機械に触れている方が長いのではないかと思う。古代の方が、遥かに『心ある医療』であったように感じる。

では、なぜ現代医療にはその『心ある医療』が欠けつつあるのだろうか。その原因として、私は、医師の『人間の死』に対する考え方の違いを挙げるべきではないかと思う。

先端分野の治療をする医師にとって、死は軽いものとして受け止められるようになった。

例えば、欧米では、臓器移植の普及に伴い、脳死を死とする法律が出来た。今、植物人間までも死と主張する医師も出て来た。しかし、脳死状態であっても、患者は涙を流し、体温があり、爪が伸びる。脳が死、意識もないのに、家族の声に反応する。何よりも、心臓は動いているのだ。欧米では国の法律で国民の理解も強いが、昔から心停止を死と判断して来て、脳死の理解も薄い日本では、心臓の動いている人を死と認めるには抵抗がある。医師が脳死を死と認めても、患者の家族にとって、患者はまだ生きているのだ。

現代医療の最先端にいる医師にとって、脳死を死と認め、すぐに臓器を取り出し、移植したいと考えるのは脳死状態での移植の方が成功率が高くなるからである。移植医は、臓器移植によって、本当はなくなるはずの命を他の誰かに使ってもらうことで人の命となることが出来る、という考えを持っている。しかし、従来心停止を死としてきた日本人にとって、脳死判定で死と認めると同時に、待ち構えたように臓器を取り出すことを認めることは、受け入れ難い事である。

最先端を走る欧米に追いつくことは大切だ。先進国の中でも日本は非常に遅れをとっている。しかし、そのために人の命の重みを忘れてはいけない。人の命はそんなに軽いものではない。

『心ある医療』とは、絶えず患者から新しいものを学び、それを医療者、あるいは家族が実践の場で活かしていく営みである。そのために今求められていることは、『インフォームドコンセント』である。患者からの新しい情報を医師は受け取り、患者と家族と医師とで意見を取り交わすことで、病気に対する信頼関係を作ることが必要だと思う。父が入院をし、結果が出たとき、主治医は初期の胃ガンに近いこと、手術の仕方、今後の治療の行い方など、全てを伝えてくれた。患者にとって信頼関係がなければ身体にメスを入れることを不安に感じるだろう。

患者は弱い身体ではあるが、人間として、弱い立場ではない。医師が絶対的権威を持っている時代ではないのだ。患者は自分の人生なのだから、もっともっと自分のことを知ればいい。人間の価値観、そして生き方は、自分の今までの生と、これからの死に向かって精一杯働き、生と死の考えが多様なまま共存し、認め合えることが大切である。そして医師も、医師の立場から本当のことを言えばいい。患者の病状について隠す必要はない。患者が落ち込めば『心ある医療』で支えればいい。この支えがあってこそ信頼関係が生まれ、心の医療と呼ぶことができると思う。

冒頭に書いたように、私は将来医師の道を選んだ。現代医療の最先端、高度救急医療といわれている分野、また実際にメスを取り、臓器移植やガンなどの手術に携わって、活躍したいと思っている。まさに、この分野は、患者との信頼関係が最大の鍵を握っている。患者の大切な命、人生を任せられる立場である。命を預ける人にとって、不安になることは沢山ある。病状、治療の仕方、痛みを訴えても聞いてくれない、また、もっと大きな不安もあるだろう。私は、不安一つない医療をすることに自信はない。しかし、不安から救う医療、『心ある医療』をする自信はある。

患者とは、病気を持っているというだけの人ではない。患者とは、特別の個性と権利を持ったかけがえのない個人なのだ。患者を、一人の人間、一人の個人として見ることで、不安という文字を希望という文字へ変換する、『心ある治療』の手助けの出来る医師になりたい。患者の意志を尊重する医師になりたい。治る確率が小さくても、
「臓器を提供し、もっと人の役に立ちたい」
「残りの人生で、闘病記が書きたい」
など、一人一人、人生を楽しむ希望を持っているはずだ。希望を希望で終わらせるのではなく、実践するべきだ。その手助けが出来る医師になる。

『夢に向かってもう一歩』という言葉がある。日本人女性初の宇宙飛行士、向井千秋さんの言葉だ。女医から宇宙飛行士となった。彼女は、自分の大きな夢を二つ叶えた。私は彼女の生き方から勇気を貰った。この言葉を信じてみようと思う。

夢はもう目の前。あと一歩。

 

[参考資料]
・『いのち − 8人の医師との対話』   柳田邦男著(講談社)
・『医学は何ができるか』       ルイス・トマス著 石館康平/中野恭子訳(晶文社)